2006年12月11日

玉蘭

<2006年7月29日読了>

桐野夏生「玉蘭」



内容(「BOOK」データベースより)
ここではないどこかへ…。東京の日常に疲れ果てた有子は、編集者の仕事も恋人も捨てて上海留学を選ぶ。だが、心の空洞は埋まらない。そんな彼女のもとに、大伯父の幽霊が現れ、有子は、70年前、彼が上海で書き残した日記をひもとく。玉蘭の香りが現在と過去を結び、有子の何かが壊れ、何かが生れてくる…。



これは一気読みしました。読み終えてあとがきで桐野さんの大叔父の実話を元にしているということに驚き!実話から膨らませた話としても、時空を超えた交わりがあるという非現実的なストーリーとしては、あまりにもリアルです。

この作品は、恋人から逃げて上海に留学した有子と元恋人の消化器系医師の行夫の話と、それから70年ほど前における(桐野さんの親戚である)大正時代の上海・広東における質と浪子の物語が並行していくものです。これが混ざり合い、混沌としていくのですが、これまで読んだ桐野作品と通ずるものもあれば、違うところもある作品でした。

私が一番惹かれたのは、有子の世界です。彼女は意を決して仕事と恋人を捨てて中国にわたって大学に通うのですが、こういう人たちはNYにはたくさんいます。結局全くアメリカに馴染めずに日本人社会でどっぷりとつかって落ちぶれる者、逆に日本人社会に馴染めずにそこから孤立するもの、寂しくなり留学生仲間とことごとく関係を持ってしまう女性、そこだけと割り切りながら留学時代に女を口説きながらも嫉妬を感じるエリート、企業派遣で閉じた世界に違和感を持ちながら違う道を行く者、自分は違うと頑なに距離を置きながらも壊れていく女性。。。

やはりリアルです。実際に皆が皆とはいいませんが、NYに違う世界を求めて結局は狭いくだらない世界に身を置いてしまっている自分に気がつく人、それをよしとせずに上を目指す人、それも仕方なしとする考え、結局日本と一緒だと諦める人。リアルです。NYに腐るほどいる。何が本質だか、何が目標だか分からなくなる日常。手段だと思っていた金稼ぎが日常となってしまったことに気がついて悩む自分。それもやむなしと諦める人。

私は悩みながらも、そういう世界に踏みとどまらずに前に突き進む人が好きです。そういう人を応援します。でも、表向きNYに来ました!というだけの人の話を聞くと、どこかうんざりします。そんなの現実逃避じゃない?

「私は新しい世界で何かを始めたかったのだ。新しく生まれ変わりたかったのだ。」とつぶやく有子。そこに時空を超えて現れる質。
「ここは新しい世界なのか」
「どうしてここに現れたの」
「分からないよ。気がついたら、あんたが助けてくれと叫んでいた。僕はきっと上海に戻ってきたかったのだろう。あの時代のことが忘れられない。」
「楽しかったから?」
「いや、辛かった」
「なぜ」
「自分の世界の真っ只中にいたからさ。世界の果てなんかじゃなかった。」



本質的なことをここで言っています。違う新しい世界に来たつもりが、依然として世界の果てにいる、そして同時に世界の真っ只中にいる。。。これは自分が過去を引きずっている限りは、新たな世界には入れず、あくまでも逃げたいと思っていたそれまでの世界の真っ只中にいると感じたり、疎外感を感じていた世界の果てにどこまでいっても逃れられずにいるということを、見事に伝えてくれています。

そうしたテーマとともに、生への執着も感じさせる作品でした。これは、最終章を読まないと分からないので、敢えて書きませんが、変わりたい、新しい世界にといいながらも、よくよく考えると自分の過去にとらわれていると感じる方は、一読するといいのかも知れません。

ラベル:桐野夏生
posted by seven at 02:06| ニューヨーク ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 桐野夏生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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